必殺シリーズの歴史
1972年に『必殺仕掛人』としてスタートしてから約4年の中断期間を含め、実に19年7ヶ月に渡って続いた「必殺シリーズ」だが、この間の歴史は、数々の危機を抜きにしては語れない。
必殺仕置人殺人事件
最初の危機はシリーズ2作目の『必殺仕置人』放送期間中に起きた「必殺仕置人殺人事件」。この番組が放送されている間に殺人事件を犯した容疑者が、「番組を見ていた」と供述。これにより、マスコミによる必殺批判が展開され、世論の糾弾を浴びる。この時、制作局の朝日放送は、当時のキー局である東京放送|TBSから放送打ち切りを通告される事態となる。しかし、その後の容疑者の「俺はテレビに影響される程、安易な人間では無い」との供述により、番組と事件の関連性は否定された。また、当時のスポンサーであった中外製薬とデンソー|日本電装(現・デンソー)、そして日本電装の親会社のトヨタ自動車の圧力のおかげで、番組は継続される事となった。その一方で人気を博していた『必殺仕置人』の延長予定が白紙となり、次作(『助け人走る』)から世論を考慮して、番組内容をソフト路線に軌道修正(但し、途中からはハード路線に戻り、シリーズ初の殉職者を、2人も出す事になる)。同時に『必殺』のタイトルが一時的に消えるといった代償を払ってしまった(タイトルに『必殺』の2文字が復活するのは、4作目『暗闇仕留人』を挟んで、5作目の『必殺必中仕事屋稼業』からである)。
ネットチェンジ
次の危機はシリーズ5作目の『必殺必中仕事屋稼業』放送中。「必殺仕置人殺人事件」時の世論の糾弾や、当時のキー局であるTBSからの放送打ち切り要求を乗り越え、第8話「寝取られ勝負」(1975年2月22日放送)で、これまでの歴代最高視聴率34.2%(関西地方|関西地区)を記録。ここに来て人気の頂点を極めたかに見えたが、1974年|前年の11月19日に、当時の“TBS - 朝日放送・テレビ朝日|日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日) - 毎日放送(MBS)”から、“TBS - MBS・NETテレビ - 朝日放送”へと1975年3月31日をもって、東京都|東京・大阪府|大阪のJapan News Network|JNN/All-nippon News Network|ANN系列局を変更する事(ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消|腸捻転ネットワークの解消)が決定していた。これにより、朝日放送は上記の日付よりそれまでのTBS系列からNETテレビ系列に移行したが、移行したNETテレビの土曜22時台には21時から22:24まで『土曜映画劇場』が放映されていたため、それまでMBSが『皇室アルバム』『真珠の小箱』などを放映していた金曜22時枠に変更を余儀なくされた。さらにこの時間帯には強力な裏番組(日本テレビ放送網|日本テレビ - 讀賣テレビ放送|よみうりテレビ『金曜10時!うわさのチャンネル!!』、TBS - MBS『金曜ドラマ』、フジテレビジョン|フジテレビ - 関西テレビ放送|関西テレビ『ゴールデン洋画劇場(当時は金曜日の放送)』)の存在もあって視聴率が半減してしまった。ちなみに朝日放送の曜日変更時の番組宣伝|番宣コピーは「土曜の夜では間に合わぬ “仕事”は金曜よる10時」。新規系列局のコピーは、NETテレビ「大ヒット中!」、瀬戸内海放送(当時は香川県の県域放送|県域局)「人気番組登場!」、九州朝日放送「今夜時刻#日本|亥(い)の刻(22時)はいります!」。もちろん危機を察した朝日放送側は、系列変更を挟んで歴代初の前後編(第13話「度胸で勝負」→第14話「招かれて勝負」)仕立てとすることで、視聴率低下を未然に防ごうとしたが、これが視聴者に番組終了と勘違いされ、裏目に出た。さらに知らぬ顔の半兵衛_(必殺必中仕事屋稼業)|半兵衛(緒形拳)の殺し道具の剃刀が、理美容|理髪店で使用しているものと同じ形だったため、理髪店団体からの抗議も殺到した。正念場に立たされた「必殺シリーズ」だったが、中村主水を主人公にした次作『必殺仕置屋稼業』を制作。視聴率が回復してきたため、シリーズそのものの打ち切りが回避された。
せん・主水の反乱
3つ目はシリーズ8作目の『必殺からくり人』終了直前。この当時、朝日放送と京都映画撮影所(現・松竹京都映画)は次作として『新・必殺仕置人』の制作を決定していたが、中村主水の義母・中村せん|せん役の菅井きんが、役名のイメージが強すぎて、娘の縁談が破談するのを恐れて降板を希望したため、交渉が難航。クランクイン不能になってしまった。またそれと並行して制作側は藤田まこと側からのクレーム処理にも追われる事になる。『必殺仕置屋稼業』『必殺仕業人』と、2作続けて登板した中村主水を中心に物語が展開され(特に『仕置屋』は主水中心のエピソードがかなり多い)、新聞やテレビ情報誌の番宣広告、番組表、宣伝ポスターの俳優序列でも完全な主演であることを強調するために藤田まことが先頭に立っていたにもかかわらず、本編のエンディングのキャストロールでは『必殺仕置人』、『暗闇仕留人』と同様、またしても最後尾(トメ)であり、主人公だと思っていた藤田本人が猛反発したというものである。『仕置屋』のときは市松こと沖雅也の養父兼所属芸能事務所|事務所社長・日景忠男の抗議でやむを得ずトメに回ったが、『仕業人』のときは何の説明もなく、赤井剣之介こと中村敦夫が先頭に立っていたという(剣之介を先頭にした理由としては、彼とお歌(中尾ミエ)の動向に重点を置いたものと考えられる)。『蔵出し 絶品TV時代劇』(近藤ゆたか編、フィルムアート社。1997年6月発売 ISBN 4845997681)の巻末にある「連続TV時代劇放映リスト」では、主演は『仕置屋』が沖、『仕業人』は中村敦夫と掲載され、現在発売中のDVDソフトにおいても、沖と中村敦夫が“主演”、藤田はトメになっている。ちなみに、キャスト表示のスーパー (映像編集)|テロップのパターンは、『仕置屋』は起き上がってくる―かつてのロート製薬#オープニングキャッチ|ロート製薬のオープニングキャッチや『太陽にほえろ!』(日本テレビ)などのオープニングと同じで、のちに山田五十鈴のキャラクターで多く使用されたもの。『仕業人』は日中の空(初期の第1〜7話は夕日の中)から飛び出してくる(ズーム)。『仕置人』と『仕留人』は通常のテロップ出し(カットインアウト)だった。そこで、菅井を説得する間、別シリーズという形で『必殺からくり人』の延長を決断。次作を『必殺からくり人・血風編』として制作し、切り抜けた。後に菅井が出演を快諾(娘の縁談は無事成功)し、シリーズ10作目として、『新・必殺仕置人』が制作される運びとなった。そして、主水=藤田も、自身のシリーズ5作目にして、(番宣広告、番組表、宣伝ポスターの俳優序列、本編エンディングのキャストロールのテロップの順番とも、藤田本人の希望通りに)完璧な形(先頭)で主人公となった(『蔵出し〜』の「放映リスト」と現在発売中のDVDソフトでも同様)。ただし、『新・仕置人』の主人公は『必殺仕置人』と同様、あくまで念仏の鉄|鉄(山崎努)であり(その際、制作側はあらかじめ藤田に条件を付けていたようで、彼も受諾したようだ)、主水が完璧な主人公の座を勝ち得るのは、シリーズ12作目『江戸プロフェッショナル・必殺商売人』からである。
『うらごろし』打ち切り、『仕事人』の成功
4つ目はシリーズ14作目『翔べ! 必殺うらごろし』〜15作目『必殺仕事人』の初期にかけて。1978年12月から、「必殺シリーズ」としては異色の作品(殺す前に金を貰わない、超常現象を武器に人を殺す、殺し方が明らかに暗殺でない、など)である『翔べ!必殺うらごろし』を放送していたが、視聴率がシリーズ史上最低(一部地域では、2.1%を記録)に落ち込んだため、2クール_(テレビ)|クール=26話の放送予定を全23話に短縮。「必殺シリーズ」のチーフプロデューサーであり、番組生みの親でもある朝日放送の山内久司(当時)は、次作にシリーズの看板キャラクターである中村主水を中心に、原点に帰った作品として、『必殺仕事人』を決定。これが駄目ならシリーズそのものの終了を決意して、制作に挑んだ。『必殺仕事人』は1979年5月から放送したが、主水の上司的存在である元締役の俳優が次々と諸般の理由で途中降板。路線変更を余儀なくされたが、その一方で、三田村邦彦演じる飾り職の秀が、女性視聴者からの人気を獲得した。この事が逆に功を奏し、番組は再び高視聴率をマーク。「必殺シリーズ」は人気を回復し、シリーズそのものの終了も免れた。以降、『必殺仕事人』はシリーズ化され、シリーズ17作目『新・必殺仕事人』より、それまでの映画的なハードボイルドタッチの作風から、子供から老人まで幅広い視聴者層に楽しめるソフトな作風に変更して、人気番組となり、主水も時代劇のアンチヒーローから、正統派ともいえるヒーローとしての地位を完璧なものにした。同時に、中条きよし演じる三味線屋の勇次 (必殺シリーズ)|勇次が登場。秀とともに、人気キャラクターとして、後期の「必殺シリーズ」の人気に貢献し、「仕事人」ブームを巻き起こした。続くシリーズ19作目『必殺仕事人III』は、ひかる一平演じる歴代初の受験生仕事人・西順之助が加入。「必殺シリーズ」の番組としてのアイドル化が、これまで以上に加速した。シリーズ21作目『必殺仕事人IV』は歴代で唯一、レギュラー出演者及びキャラクターが前作から全く変わらない作品であると同時に、番組のバラエティー化が強くなり、人気も頂点に達した。そんな中、劇場映画第1作「必殺! THE HISSATSU」が製作、公開された。シリーズ23作目『必殺仕事人V』は前作を最後に抜けた秀と勇次に変わり、京本政樹演じる組紐屋の竜と、村上弘明演じる政_(必殺シリーズ)|花屋(のちに鍛治屋)の政が加入。竜と政のコンビは、秀と勇次に劣らぬ女性視聴者からの人気を獲得し、第2次仕事人ブームを巻き起こした。しかし、この頃から視聴者層の大半を占める中年男性層に、この路線は徐々に受け入れられなくなり、強力な裏番組(日本テレビ『金曜ロードショー』、TBS『金曜ドラマ』、フジテレビ『金曜エンタテイメント|金曜女のドラマスペシャル(現・金曜プレステージ)』他)の台頭もあって、視聴率的に苦戦を強いられる事になる。
『ニュースステーション』開始
5つ目はシリーズ24作目『必殺橋掛人』の放送中。強力な裏番組の台頭にも臆せず、安定した視聴率を確保していた「必殺シリーズ」だが、ここに来て、キー局のテレビ朝日側から問題が発生した。それは1985年10月7日に放送開始した、大型報道番組|ニュース番組『ニュースステーション』の存在であった。当時、テレビ朝日は平日22時枠を帯 (放送業界用語)|帯(ベルト)で結んだ民間放送|民放キー局・プライムタイム初の大型ニュース番組『ニュースステーション』の制作を計画。自社制作番組枠の終了・枠移動・確保に着手した。『ニュースステーション』放送開始以前、1985年9月当時のテレビ朝日系列の平日22時枠は、テレビ朝日及び制作プロダクションの番組枠と、朝日放送制作の番組枠が混在していた。当時の朝日放送は「必殺シリーズ」を放送していた金曜22時枠の他に、火曜22時枠を担当しており、バラエティ番組(『パーティー野郎ぜ!』)を制作・放送していた。このうち火曜22時枠は『パーティー野郎ぜ!』が低視聴率に喘いでいた事もあり、すんなり番組終了へと踏み切ったが、「必殺シリーズ」を放送していた金曜22時枠の方は、簡単に枠移動とはいかなかった。「必殺シリーズ」は、前述の通り安定した視聴率を確保・維持しており、朝日放送の制作番組中数少ない全国ネット番組であると同時に、その知名度は抜群であった。仮に枠移動したとしても、そのメリットはあまり期待できず、それに伴うデメリットの方が大きいからである。テレビ朝日としては、『ニュースステーション』を放送開始するためには月−金・22時枠を統一したいというのが本音だが、「必殺シリーズ」の放送枠の問題があり、朝日放送との調整は困難を極めた。最終的には、金曜のみ22時枠は「必殺シリーズ」を枠移動させずに現状維持とする事で決着し、23時枠に『ニュースステーション金曜版』として放送する事となった。テレビ朝日側は『ニュースステーション』放送開始前に行われた番組制作発表の記者会見の席上にて、「金曜日は週末性を考慮して、23時からのスタートとした」とコメントしたが、これは安定した視聴率を維持していた「必殺シリーズ」と朝日放送に配慮した発言だという事は、明白であった。
金曜10時枠「必殺シリーズ」の最期
最後はシリーズ27作目『必殺仕事人V・旋風編』の放送中。朝日放送は『必殺仕事人III』以降、続いていたマイルド路線から起死回生を図るべく、ソフトな作風から一転、初期〜中期を思わせる久々のハードボイルド路線を復活させたシリーズ25作目『必殺仕事人V・激闘編』を放送した。結果的には一定のファン層の支持は得られたものの、高視聴率には至らず、制作スタッフ側の迷いがそのまま次作『必殺仕事人V・旋風編』にも生じ、内容的には、新設定や新キャラクターを創造するも、ストーリーその物に発展性が見られず、中村主水シリーズとしては異例の全14話で打ち切りとなる。これは番組的には、前例の無い一大事であり、ここに来て時代との接点を見失った「必殺シリーズ」は転落の一途を辿る事となる。同時に、中村主水役の藤田まことが『必殺仕事人V・旋風編』を最後に、「必殺シリーズ」から降板したいと、内々に朝日放送に意思表示していた。当時の藤田は役者として、自分の年齢に見合った新しい芸域の開拓(テレビ朝日『はぐれ刑事純情派』、ミュージカル『:en:Zorba_(musical)|その男ゾルバ』)を考えており、中村主水のキャラクターと、自身の年齢のギャップから脱却を図ろうとしていた。加えて作風の安定に伴うパターン化と、自身の体力の限界が発生し、主水役に縛られる事は藤田の俳優としてのステップに重い負担を背負ってしまう危険性があった。慌てた朝日放送は、藤田にギリギリまでの交渉を重ね、「必殺シリーズ」降板を回避するべく慰留に務めたが、藤田の意志は固かった。そして『ニュースステーション』の圧力も、「必殺シリーズ」に大きな影響を与えていた。久米宏をニュースキャスターに据え、放送を開始した『ニュースステーション』は、スタート当初は低視聴率に喘いでいたが、1986年のフィリピン政変などをきっかけに、ニュース番組としての人気と地位を獲得。それまでドラマやバラエティー番組の時間であった、平日22時枠のイメージを覆して、高視聴率を記録し、1987年10月にはTBSテレビも月〜金曜22時枠で『ニュース22プライムタイム』を開始し、『ニュースステーション』に挑戦した。その様な状況下の中でも、「必殺シリーズ」は金曜22時枠を死守していたが、『必殺仕事人V・旋風編』の視聴率低下、『ニュースステーション』の高まる人気、さらに『プライムタイム』が金曜22時台に高視聴率を挙げて追い上げたことに、朝日放送もテレビ朝日の系列局として、無視はできなくなっていた(実際『ニュースステーション』の平均視聴率は、関東地方|関東地区より関西地区の方が高かった)。そこに、藤田まことの「必殺シリーズ」降板問題が浮上した。朝日放送は以上の問題を考慮して行く上で、「必殺シリーズ」の今後を決断する時期に直面した。
『もし藤田まことが「必殺シリーズ」を降板した場合、主水不在で、(金曜日の)「ニュースステーション」を引き続き、23時開始で納得させるだけの作品が、果たして可能なのか!?』いわゆる「中村主水シリーズ」と、それ以外の「非主水シリーズ」という二大看板のうち、その中の一つが消滅してしまうからだ。
ここで、朝日放送は「必殺シリーズ」について、一つの結論を見る。藤田の意向を汲んで、両者の妥協案として採られたのが、「必殺シリーズ」のレギュラー放送を一時中断し、年2〜3回の単発によるスペシャル番組として、継続する事であった。「必殺シリーズ」は、引き続きシリーズ28作目『必殺仕事人V・風雲竜虎編』を制作。
新キャラクターとして、三浦友和演じるかげろうの影太郎が加入。視聴率は回復したが、往時の勢いを取り戻す事はできず、(最初の)シリーズ終了が、番組放送中に発表された。次作・シリーズ29作目『必殺剣劇人』をもって、「必殺シリーズ」は、『必殺仕掛人』から始まった15年の歴史に一度終止符を打った。『必殺剣劇人』を放送していた1987年当時の日本は、社会的にバブル景気の真っ只中にありテレビ界ではトレンディドラマがブームとなっていた。また、バラエティー番組や報道番組が、視聴者に好まれる様になり、確実に、時代のテレビに対する好みは変化していた。番組内容的にも、「必殺シリーズ」とは逆向きの風が吹き始めていた頃であり、役目を終えた感が強かったのも事実である。なお、朝日放送制作ドラマ枠は、この後現代劇を2作放映後、1988年4月に金曜日も『ニュースステーション』が22時開始となった。
必殺の復活、しかし…
1991年に放送された『必殺仕事人・激突!』は、これまでとはまったく異なる時間帯である火曜21時枠での放映となった。内容的にも序盤はタイトル通りのハードな展開を予感させたが、裏番組に『なるほど!ザ・ワールド』『火曜サスペンス劇場』が控える厳しい枠で視聴率は伸びず、10回も持たずにまたもや路線変更、そして迷走状態のまま番組は終了してしまった。そして藤田まことの主水引退宣言もあり、同時期の映画「必殺5 黄金の血」では「これが最後の必殺か(公開当時はもう我慢できない)」というコピーがつけられた。1996年公開の映画「必殺! 主水死す」は、製作記者会見で「阪神・淡路大震災|阪神大震災やオウム真理教|オウム事件を経た混迷の時代に必殺が復活します」と銘打ったものだったが、それは「シリーズ完結、さらば婿殿」という必殺終了を意味するものだった。必殺の視聴者と製作者が中村主水に注目するあまり、主水の退場=凄絶な爆死とともに必殺が道連れにされてしまった結果である。1999年の「必殺! 三味線屋・勇次」も主水一家の一人を主役にしたものだった。「必殺シリーズ」終了の原因は、視聴者も制作側も中村主水一家という人気キャラクターに依存しすぎてしまったことに加え、初期〜中期シリーズにあった、既存のテレビ時代劇への弁証法#ヘーゲルの弁証法|アンチテーゼといえる作風が失われてしまったことにあるとされる。これは、冒険作だった『うらごろし』が視聴率的に失敗に終わった直後の『仕事人』シリーズがブームとなったため、冒険的な内容のシリーズが作れなくなった上に、作風に放送当時の世間の流行を半ば強引な形で取り入れるなど、視聴者への過度の迎合を重ねていった結果である、との指摘である。「主水死す」「三味線屋・勇次」は興行としては惨敗に終わった。特に「勇次」は後年、出演者の逮捕が相次いだため、これらの作品を「無かった事」として扱うファンも少なくない。時代劇の異端であった「必殺シリーズ」が姿を消して間もなく、『長七郎江戸日記』(ユニオン映画製作、日本テレビ)や『暴れん坊将軍』(東映東映京都撮影所|京都製作、テレビ朝日)といった正統派のテレビ時代劇もまた、終了に追い込まれていく。近年に至っては、クールによっては新作のテレビ時代劇が民放で週に1本も放送されないという状況にある。さらに、製作会社の松竹の経営合理化や、朝日放送の資金面での問題(本社社屋の老朽化に伴うABCセンター#新社屋の概要|新社屋建設計画やホテルプラザの閉鎖等)といったお家の事情もあり、新しいテレビシリーズの製作は今もって途絶えたままになってしまっている。しかし、現在でも全国の独立UHF局|独立系テレビ局や時代劇専門チャンネルを中心に各シリーズの再放送がほぼ途絶えることなく続いており、映画版に続き、『仕掛人』から『うらごろし』までの『仕事人』以前のTVシリーズ14作全てがデジタルリマスター版DVD-BOXとして発売され、好評を博している。それに引き続き、TVスペシャル版、『仕事人』『新仕事人』までが2008年2月現在DVD化されている。また、2001年には京楽産業からパチンコ機「CR必殺仕事人」、さらに2年後の2003年には続編「CR必殺仕事人激闘編」がリリースされ、必殺ファンのみならずパチンコファンにも好評を博した。2007年、第3弾として「CRぱちんこ必殺仕事人III」がリリースされた(4月16日)。そして、「グローバリズム」「格差社会」といった新たな混迷の時代である2007年に必殺、そして中村主水が11年ぶりに復活した。
高視聴率を記録し、往年の人気を裏付けた。
※途中で打ち切られた局や、しばらくの間放送する他系列ネットの局がある。広島ホームテレビが(在広4局化後の一時期)ANN系列フルネット局にもかかわらず、番組販売扱いの遅れネットに降格したり(おそらく本来の時間にANN系列またはTXN系列の番販番組、あるいは自社制作のローカル番組を必殺シリーズと同じスポンサーで放送して穴埋めした模様)、琉球放送が一時期放映を中止した理由について、番組内容が放送局の基準に照らし合わせて不適当だと判断されたことで放送されないエピソードが度々発生し、しまいには業を煮やした放送局が制作局の朝日放送に対し、ネット打ち切りを通告したことにあるといわれている(実際には、単なる編成上の都合でネット続行が不可能になったことや、「仕事人」ブームで視聴者が小学生|小中学生|中高校生|高生にまで広がったため、地元のPTAが日本PTA全国協議会#子供に見せたくない番組|ワースト番組に指定していたことが挙げられる)。
参考資料:朝日新聞社西部本社版番組表|ラ・テ欄。番組名と放送時刻のあとに「KBC・UHT」と当時のフルネット局が出てくるはずが「KBC」しか無かったため。
東京放送|TBS→テレビ朝日|NETテレビ(1977年4月からテレビ朝日に改称、ネットチェンジ#大阪準キー局「腸捻転」の解消|腸捻転解消後。『仕事人2007』では制作にも参加)
北海道放送→ 北海道テレビ放送|北海道テレビ(腸捻転解消後)
青森県 青森テレビ(腸捻転解消後もしばらくはネット移行せずに放送(1977年3月まで))→ 青森放送(『新婚さんいらっしゃい!』とセットでネット移行。1977年4月〜1991年9月)→ 青森朝日放送
岩手県 IBC岩手放送|岩手放送(現:IBC岩手放送)(腸捻転解消後もしばらくはネット移行せずに放送)→ テレビ岩手
宮城県 東北放送→仙台放送(腸捻転解消後の半年間のみ)→東日本放送
秋田県 秋田放送→秋田テレビ(腸捻転解消後)
山形県 山形放送
福島県 福島テレビ(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)→福島放送
新潟県 新潟放送→新潟総合テレビ(腸捻転解消後)→新潟テレビ21
長野県 信越放送(腸捻転解消後もしばらくはネット移行せずに放送(1978年3月まで))→長野放送(1978年4月〜1980年9月)→テレビ信州(1980年10月開局〜1991年3月)→長野朝日放送
山梨県 テレビ山梨(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)
富山県
石川県 北陸放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送(1987年まで))→石川テレビ放送|石川テレビ(1991年9月まで)→北陸朝日放送(1991年10月以降)
福井県 福井テレビジョン放送|福井テレビ→福井放送(『激突!』のみ)
静岡県 静岡放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送(1979年3月まで))→静岡朝日テレビ|静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ)(1979年4月以降、同年7月の静岡第一テレビ開局で同時ネット)
中京広域圏 中部日本放送→名古屋テレビ放送|名古屋テレビ(腸捻転解消後)
鳥取県・島根県 山陰放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)
岡山県・香川県 山陽放送→瀬戸内海放送&岡山放送|テレビ岡山(現・岡山放送)(腸捻転解消後〜1979年3月)→瀬戸内海放送(1979年4月以降、電波相互乗り入れ#岡山・香川両県の民放相互乗り入れ放送|両県の相互乗り入れのため)
広島県 中国放送→広島ホームテレビ(腸捻転解消後、ただし解消直後の半年間=1975年10月のテレビ新広島開局まで=とその後の一時期は同時ネットせず、テープネット|フィルムネット&ローカルセールス枠|ローカル枠に降格していた時期もあり)
山口県 テレビ山口(腸捻転解消後もしばらくはネット移行せずに放送(1978年3月まで))→山口放送(1978年4月以降)
徳島県 四国放送(『新・仕置人』第32話では制作協力としてクレジットされた)
愛媛県 南海放送
高知県 テレビ高知(腸捻転解消後もネット移行せずに放送、腸捻転解消後は土佐鶴酒造|土佐鶴筆頭提供のローカル枠に入る)
福岡県・佐賀県 RKB毎日放送→九州朝日放送(腸捻転解消後)
長崎県 長崎放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)→長崎文化放送
熊本県 熊本放送(腸捻転解消後もしばらくはネット移行せずに放送(1978年3月まで))→テレビ熊本(1978年4月〜1989年9月)→熊本朝日放送
大分県 大分放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)
宮崎県 宮崎放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)
鹿児島県 南日本放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送)→鹿児島放送
沖縄県 琉球放送(腸捻転解消後もネット移行せずに放送、ただし打ち切り期間あり)