作品内容と反響
第43作NHK大河ドラマ。近藤勇を主人公に、京都守護職下の警備組織として知られる新選組が題材。幕末を扱うのは1998年の『徳川慶喜 (NHK大河ドラマ)|徳川慶喜』以来。主演の香取慎吾は大河ドラマ初出演。原作・脚本は舞台や民放ドラマを多く手がける三谷幸喜。近藤と坂本龍馬や桂小五郎が江戸で知り合っているなど新解釈を盛り込みながら、同じ三谷脚本の『竜馬におまかせ』(日本テレビ放送網|日本テレビ系列)でも掲げた「幕末青春グラフティ」(尊皇攘夷の名の元に若者達が繰り広げる青春群像劇)をテーマに、「近藤勇の人生における重要な49日」を取り上げ、基本的にその1日を1話で構成するスタンスをとった作品。大河ドラマとしては『琉球の風 (NHK大河ドラマ)|琉球の風』以来11年ぶりにテーマ曲に歌詞がつけられた(歌詞は三谷の手によるもので、第26回からは歌詞の字幕が表示されるようになった。ちなみにその年のNHK紅白歌合戦|紅白でも歌われた)。それとともに「語りが一切無い大河ドラマ」(ただし、アバンタイトルにおける史実の説明は除く)としても異例である。尚本編の後日談の形で作られた総集編では、みつ役の沢口靖子が語り、という形になっている。物語中盤の山場となる池田屋事件の舞台となった池田屋のセットは、実際の建物の設計図を元に組まれた。その為映画などでお馴染の大階段は存在せず(もともと大階段は創作。実際の「ウナギ|うなぎの寝床」な当時の京の家屋で、あんな大きな階段がしかも玄関にあるのは不自然である)、史実に近い暗くて狭い池田屋となった。これに代表されるように、これまで描かれてきた新選組の固定化されたイメージの刷新に取り組んでおり、タイトルの「!」マークにはこれぞ新選組だという思いが込められている(三谷自身は照れ隠しのためか画数で験担ぎをしたとも述べている)。それに伴い、これまで年配の役者が演じることが多かった隊士や志士役には、実際の年齢に近い若手俳優や小劇場界で活躍する舞台俳優が積極的に起用されたことも今回ドラマの特徴となっている。物語の中では、隊士をはじめ一人一人のキャラクターと彼らの人間関係が丁寧に描かれている(延べ出演者数は大河ドラマ最多)。とりわけ山南敬助の切腹した回では放送当日の反響の電話が鳴り止まず、その年末のアンコールでも1位に選ばれた。この影響を受けて、2007年には山南敬助を弔う「山南忌」が京都の旧前川邸界隈で行われた。2005年にインターネットで行なわれた「好きな大河ドラマは?」というアンケートでは2位に入った(1位は『独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)|独眼竜政宗』)。熱烈な大河ドラマファンである松村邦洋も、番組の企画で大河ドラマベスト3を選ぶ際に第2位として挙げ、「三谷さんは新しい大河ドラマを作ろうとした」と好意的な発言を寄せた。一方、近藤を主人公と定めたために最終回は主人公・近藤の死によって締めくくられ、近藤の死後に土方が新選組を率いて転戦した会津・函館市|箱館が登場しなかったために、同地の関係者からは不満の声が寄せられたという。こうした事情や続編を望む視聴者の声を背景に2006年1月3日には正月時代劇として、続編にあたる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』を放送。大河ドラマでは異例の続編の放送となった。作・脚本は引き続き三谷幸喜。主演は山本耕史。『新選組!』の主要出演者(新選組!#試衛館の仲間達(主要人物の9人)|試衛館の仲間達と松平容保|会津侯)も土方の回想内という形で登場したが、本編の主人公であった香取は『西遊記 (フジテレビ系テレビドラマ)|西遊記』(フジテレビジョン|フジテレビ系列)撮影のためオーストラリアへ行っており、スケジュール調整が効かなかったのか、本編の映像を用いてエンディングに一瞬だけ登場するにとどまった。香取が出演するテレビ朝日系の番組『SmaSTATION|SmaSTATION-4』では、香取やSMAPのメンバーが出演したドラマ・映画のプロモーションを兼ねて共演者がスタジオに登場することがあり、『新選組!』の主要キャストも例に漏れず最終回放映前日に番組出演したが、NHKの作品を他局の番組で本編映像も織りまぜながらプロモーションするというのは異例中の異例であった。またフジテレビ系の番組『SMAP×SMAP』では三谷自身が書いた「局長!」というコントまで作られ、『森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!』では香取がドラマの衣装で登場したこともあった。2007年7月29日には、フジテレビ系「FNS27時間テレビ みんな“なまか”だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!」内で放送された「クイズ!ヘキサゴン 今夜はクイズパレード」において、新選組代表として香取慎吾、山本耕史、山本太郎、山口智充、小林隆、矢部太郎がドラマの衣装で出演している。ただし、矢部が演じた阿比留は、新撰組と名を変える前に脱退していたため、浅葱の羽織に袖を通すのは初めてであった。